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天才か、黒幕か?Jane Street Capitalが43億ドルを稼いだ「秘密の戦略」

作成日:2025年09月03日
最終更新日:2025年09月07日

ジェーン・ストリートがインド市場でわずか2年余りの間に43億ドル(約6500億円)もの利益を上げたというニュースは、金融界に衝撃を与えました。しかし、この驚異的な成功物語は、インドの規制当局から「市場操作」の烙印を押され、巨額の利益没収という前代未聞の事態に発展します。

これは、市場の非効率性を見つけ出して利益を上げる「天才的な裁定取引」だったのか。それとも、個人投資家を犠牲にした「巧妙な市場操作」だったのか。今回は、この複雑な事件の核心に迫ります。

謎の巨人、ジェーン・ストリートとは何者か?

ジェーン・ストリートは、一般的な投資会社とは一線を画す存在です。彼らは顧客の資金を運用するのではなく、自社の資金で取引を行うプロップファームであり、世界最大級のマーケットメーカーでもあります。世界中の取引所で常に売買価格を提示し、市場に流動性を供給することで利益を上げています。

その強さの源泉は、独自のテクノロジーと企業文化にあります。多くの金融機関が一般的なプログラミング言語を使う中、ジェーン・ストリートは「OCaml」という学術的な言語を駆使して、ほぼ全てのシステムを自社開発しています。これにより、高速かつミスのない、極めて堅牢な取引環境を構築しているのです。

さらにユニークなのが、その採用プロセスと企業文化です。金融知識よりも、論理パズルや確率ゲームを解く能力を重視し、知的好奇心と問題解決能力に優れた人材を集めています。この「パズルを解く」という文化こそが、他社が見過ごすような市場の歪みを発見し、複雑な戦略を編み出す原動力となっているのです。

舞台はなぜインドだったのか?

ジェーン・ストリートが目をつけたのは、爆発的な成長を遂げるインドのデリバティブ市場でした。近年、インドでは個人投資家によるデリバティブ取引が熱狂的なブームとなり、取引量は世界一にまで膨れ上がっていました。

しかし、この熱狂には構造的な「歪み」が潜んでいました。それは、デリバティブ(指数オプションなど)の取引量が、その元となる現物株式市場の取引量を数百倍も上回るという異常な状況です。これは、比較的少ない資金で現物株の価格を動かせば、その何百倍もの規模を持つデリバティブ市場に巨大な影響を与えられることを意味していました。ジェーン・ストリートは、この市場の構造的な弱点を突いたのです。

43億ドルを生んだ「秘密の戦略」

インド証券取引委員会(SEBI)が「悪質」と断じたその手口は、まさに「Pump & Dump(価格の吊り上げと叩き売り)」を彷彿とさせるものでした。

  1. パンプ(価格吊り上げ):まず、取引日の午前中に、インドの現地法人を使って、指数の構成銘柄である現物株を大量に買い付けます。この買いは市場全体の出来高の15〜25%にも達するほどの規模で、意図的に株価と指数価格を吊り上げました。

  2. ポジショニング:指数が人為的に吊り上げられている間に、別の海外法人を使って、今度は逆に指数の下落に賭ける巨大なオプションポジションを構築します。

  3. ダンプ(価格暴落):取引日の終盤になると、午前中に買い集めた現物株を、今度は一転して猛烈な勢いで売却します。この売り浴びせによって、指数は急落します。

  4. 利益確定:計画通りに指数が暴落したことで、下落に賭けていた巨大なオプションポジションの価値が急騰。これを決済することで、莫大な利益を確定させるのです。

この戦略の最も悪質な点は、現物株の取引で「意図的に損失を出していた」ことです。通常の取引では考えられないこの行為は、現物取引での小さな損失を「コスト」と割り切り、オプション市場で何倍もの利益を得るための「仕掛け」だったと規制当局は判断しました。

裁定取引か、市場操作か?

もちろん、ジェーン・ストリートは容疑を真っ向から否定しています。彼らの主張は、これは「基本的な指数裁定取引」だというものです。個人投資家の熱狂によってデリバティブ価格が本来の価値より割高になっていたため、割安な現物株を買い、割高なデリバティブを売ることで、その価格差(歪み)を是正し、市場をより効率的にしただけだと反論しています。

しかし、合法的な裁定取引と違法な市場操作を分ける境界線は「意図」にあります。裁定取引は「既存の価格差」を利用するのに対し、市場操作は「人為的に価格を動かして」利益を生み出します。

ジェーン・ストリートのケースでは、現物株取引で意図的に損失を出してまで指数を動かしたという事実が、その意図が価格差の利用ではなく、価格の「創出」にあったことを強く示唆しています。市場のルールにおいて、目的が手段を正当化することはありません。

事件の結末と市場への教訓

SEBIはジェーン・ストリートに対し、インド市場からの取引禁止と、不正利益と見なした約5億7000万ドルの差し押さえという厳しい暫定命令を下しました。最終的にジェーン・ストリートは、異議を唱えつつも差し押さえ額を預託することで、条件付きで取引禁止を解除されていますが、法的な争いはまだ続いています。

この一件は、インド市場に大きな教訓を残しました。SEBIは個人投資家を保護し、同様の操作を防ぐため、デリバティブ取引の最低単位を引き上げるなどの規制改革に着手しました。

同時に、この事件は世界中のクオンツファームへの強烈な警告となりました。新興国市場であっても、規制当局の監視は強化されており、法の抜け穴を突くような戦略はもはや通用しないという明確なメッセージです。テクノロジーを駆使した取引が市場の主役となる現代において、合法と違法の境界線はどこにあるのか。ジェーン・ストリートの事件は、金融の最前線で戦うすべての市場参加者に、改めてその重い問いを突きつけているのです。


参考リンク

How Jane Street’s $4.3 Billion Nifty Bank Strategy Triggered SEBI Ban

How Jane Street Worked Around India’s FPI Rules To Make $4.3 Bn In Profits